谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2012年12月21日対談記事]3ページ/3

宗像:そのオープンも勝って、中二週で新潟ジャンプステークスを使うことになって。その頃は浜野谷さんの足も治っていたんですけど、古賀史先生が「上手く乗っているから、重賞でも乗せてやるよ」って言ってくれたんです。

じゃあそのオープンも勝てたっていうのは、すごく大きかったですね。

谷中:そもそも、走りそうな馬だなってチェックをしていたことが凄いよね。調教のときから気にして見ていたから、レースでどんな感じで乗ればいいかっていうのが分かっていた部分もあるだろうし。

重賞勝ちも印象に残っていますけど、引退レースで勝ったことも印象に残っています。

宗像:あれ、引退日が10月31日だったんですよ。で、その前の週に辞めて1週間くらい休みをもらって、嫁さんと旅行へ行こうかなと思っていたんですけど、東京の1週目に宗像厩舎のマスターオブゲームが3着にきたんですよ。それで、これは次に勝てるなと思って。どうしようかなって考えましたけど、すぐ嫁さんに電話して、勝てそうなんだけど最後に乗っていい?って聞いて(笑)。

谷中:アハハ(笑)。そりゃでもそうなるわな。

宗像:そうしたら「いいよ」って言ってくれて。それまではあまり人に引退することを言っていなかったんですけど、宗像先生に、引退するんで最後使ってもらえませんか?って聞いたら「いいよ」って言ってもらえて。

引退を考え始めたのはいつぐらいだったんですか?

宗像:2011年の年明けぐらいに給料2割カットの話が出てから、どうしようかなとは思っていて…。最初に辞めようかなって思ったのは、大腿骨を骨折して半年以上休んでいたときなんですけど、その頃は給料カットの話も出ていたから、ちょうど良いかな、と思って。

次のステップに進んでも、と。

宗像:そうですね。で、骨折から復帰してまだあまり乗っていなかったときに、知らない番号から電話がかかってきたんですけど、それが堀先生で。「調教忙しい?今、ウチの厩舎で一人ケガをしちゃって、助手が二人だけだからちょっと手伝ってくれないかな?」って言われて、いいですよ、と。僕は障害メインだったから、正直、堀厩舎とは接点が全然無かったですけど、そこから手伝わせてもらうようになって。

谷中:そんな感じだったんだ。ムナゾウが堀さんのところで乗り始めた頃に、大変じゃない?って聞いた覚えがあるよ。

宗像:いろんな人に聞かれましたけど、大変という感じはしなかったです。むしろ、普段の調教でも障害とはまた違った作り方をするし、独特の雰囲気があって面白いなと思っていました。G1に出走するクラスの馬の背中も味わえるし、結構楽しいなと。

谷中:そりゃ楽しいわ。

宗像:G1馬の追い切りにも結構乗せてもらいましたけど、障害に乗っている限りは、あまりそういう経験はしないですからね。ダークシャドウの背中もすごく良いですし、こんなに良い馬がいるんだっていうのが、堀厩舎を手伝うようになってからの率直な意見ですね。

谷中:何で俺に声がかからないんだろうなあ(笑)?そうやって手伝ううちに、堀先生と「これから先は?」みたいな話もしたの?

宗像:そうですね。2割カットの話も調教師は知っている話だし、どうする?とかいう話をしていて。ジョッキーは辞めるまで2年の猶予があるから、2年の間に考えようかなと思っています、って言ったら、じゃあウチでやるか?と言ってもらえて。それで、お願いしますと。最初は12月一杯で引退する予定だったんですけど、10月一杯で堀厩舎に空き枠が出るので、それに合わせて10月一杯で引退しようと。

谷中:今だから話すけど、辞める前に俺のところにも「辞めようかと思っている」って言いにきてくれたよね。

宗像:そうですね。…結局、全部のタイミングが合っていたんですよね。2割カットの件も、ケガした件も、全部含めて辞めるキッカケというか。

ジョッキー生活を振り返ってどうですか?

宗像:いやー、…なんか半分ぐらいはケガをしていたんじゃないのかってくらい、病院に通っていましたね(笑)。約19年ジョッキーをやっていたんですけど、そのうちの2年ぐらいはケガで休んでいるんじゃないのかってくらい休んでいましたね。

ジョッキーになって良かったなとか、いい経験したなと思えることは。

宗像:一番ジョッキーをやっていて良かったと思えるのは、僕が乗っている姿を見て親が喜んでいたことですかね。その分、辞めるって言ったときは寂しそうでしたけど(笑)。

谷中:そりゃそうだよ。ご両親は、ムナゾウがジョッキーになってから競馬を見始めたの?

宗像:そうですね。また僕がジョッキーになった頃は、グリーンチャンネルもなくて、日曜の3時からしかテレビ放送がなかったんですよ。当然その頃の僕なんて、メインレースに乗る機会もないし、なかなかレースで乗っているのを見られなくて。で、デビューして2年目ぐらいにグリーンチャンネルの放送が始まったんで、実家につけてあげたら、結構毎レース録画して見てくれていて。

谷中:そうやって見てもらえると嬉しいよね。

宗像:どんどん競馬にも詳しくなって、僕より詳しいんじゃないの?ってくらいでしたよ。「あの人、よく勝つね」みたいな(笑)。

堀厩舎の手伝いをするなかで助手に転身されたわけですけど、助手という立場になられて、ジョッキー時代と競馬に対する関わり方が変わったな、と思うところはありますか。

宗像:ある程度の仕事の流れは把握していたんですけど、助手という仕事をナメていたというか…、こんなに大変なのかと思いました。馬の調教は、ジョッキーだったら、馬をスタンドまで引っ張ってきてもらって、馬に跨って馬場に行って、走路をバーッと走ったり障害を練習したりして帰ってくるだけじゃないですか。

谷中:そうだね。ジョッキーは大体、調教だけ乗れば終わりだもんね。

宗像:助手だと、馬場へ行くときも厩舎から跨っていきますし、馬を降りたあとも、厩舎の作業がありますからね。ジョッキーに乗せるまでにイチからしつけをしたり、そういうところが結構大変だと思います。プライベートの時間も全然変わりましたからね。そもそも「WANだら~」に来られないですから。

谷中:そうそう、最近冷たいんだよ。ウチのスタッフも「最近、宗像さん来やしねえよ!」って舌打ちしてたよ(笑)。まあ実際、助手の仕事って時間もないし、大変だよね。

谷中さんも同様ですもんね。

谷中:俺もここまで忙しいと思わなかったよ。でも、ムナゾウも大変だとは思うけど、正直羨ましいなっていう気持ちもあるんだよね。いつもムナゾウやテッペイ(池田鉄平元騎手)がG1ゼッケンを着けた馬に乗っているのを見て、いいなーって。堀厩舎の馬って、馬っぷりが良いし、プリンプリンした馬を見ていると、やっぱり乗りたくなるじゃん?厩舎の勢いもあるし、幸せだよね。

関東リーディングを争っていますもんね。ではそろそろお時間になるので、最後に宗像さんにとって、助手としてのやりがいはどんなところにあるか教えていただけますか?

宗像:やっぱり、自分が所属している厩舎の馬が勝つというのは嬉しいですね。助手は、火曜日から日曜日までずっと乗り続けているわけですし、厩舎の馬がレースで結果を出してくれると嬉しいですよね。

谷中:また堀厩舎は勝つ回数も多いもんね。そりゃ楽しいわ。そういえばムナゾウは、ジョッキーの頃の夢って見る?

宗像:最近は見ませんね。辞めたときは、レースに乗っている最中の夢をチョコチョコ見ました。平地の夢は見ないけど(笑)。障害を飛んでいる夢は見ました。

俺、もうジョッキーじゃないんだ、って改めて感じるときはありますか?

宗像:やっぱり土日に競馬場へ行かなくなったことですね。あと、障害レースをテレビで見ているときです。辞めた直後は、障害のファンファーレを聞くとドキドキしていましたけど、最近では全然そういうのは無くなりました。

谷中:堀厩舎の話に戻るんだけど、朝の大変さとかどう?周りの人たちからも「堀厩舎の仕事って大変じゃない?」って聞かれると思うんだよね。

宗像:うーん、大変なのかもしれないですけど、僕は初めて助手になったのが堀厩舎だから、他所の厩舎と比較が出来ないんで正直分からないんですよね。やらなきゃいけないっていうのもあるし。

谷中:でも結局は助手としての喜びって、厩舎の馬を競馬に送り出して勝つことじゃん?それが毎回大きいレースに送り出せて、しかもG1を勝つような馬に乗れているから、仕事はやりがいがあると思うよね。………こうやってアピールをしておけば、次に空きが出たときに、ムナゾウが堀先生に「谷中さんは良いですよ」ってプッシュをしてくれるだろうから。あ、こういうことは口に出しちゃいけないんだよね(笑)。

宗像:アハハ(笑)!

下心全開ですね。あの、宗像さんは、いずれ調教師に転向しようというお考えは…。

宗像:いえ、今のところは厩舎の仕事を覚えるので手一杯ですから。

谷中:(資料を見ながら)あ、まだ引退して1年しか経っていないんだ。もっと長く助手をやっている印象があるけどな。やっぱり、リーディング上位厩舎の威厳があるから(笑)。

今日はとことんへりくだりますね(笑)。

谷中:俺、明日の朝から堀厩舎の玄関先の草むしりでもしようかな(笑)。でも冗談抜きで、G1で人気になるような馬に乗れるのは羨ましいよ。天間厩舎からもいつかそういう馬を出したいね。

宗像徹調教助手
宗像徹プロフィール
1974年3月27日生まれ。日本中央競馬会(JRA)の元騎手で現在は調教助手。福島県出身。2011年10月31日付で騎手を引退し、堀宣行厩舎の調教助手に転身。


谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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