谷中公一のソコまで聞いちゃう!?[2012年12月21日対談記事]2ページ/3

宗像:いやー、最初はおっかない先生でしたよ。僕にだからかもしれないですけど。

谷中:弟子には厳しかったよね。

宗像:私生活も馬乗りに関しても厳しかったですね。その代わり、仕事から離れれば気さくな先生だし、冗談も言ったりしますけど。

谷中:声や顔つきに迫力があるけど、良い先生なんだよね。ムナゾウがデビューするまで、俺もたくさん乗せてもらっていて、すごくお世話になったんだよね。

よく乗せてもらっている笹倉先生の所属であり、しかも谷中さんの弟弟子である亀山さんの同期でもあるということで、宗像さんが騎手としてデビューされる頃から、谷中さんも意識をされていたんじゃないですか?

谷中:そりゃもちろん、ジェラシーだよ。俺、乗れなくなっちゃうじゃん!みたいな(笑)。まあ、それは冗談だけど。

最初の出会いは覚えていますか?

谷中:ムナゾウって今も童顔じゃない?これがまた若いときがカワイイ顔で、馬に乗れるのかな?っていうくらい、本当に「少年」っていう感じなの。ジョッキーとしてやっていけるのかな、大丈夫かなって。でもいつもニコニコして、性格は良かったからね。ムナゾウが怒ったところを見たことないもん。


宗像:昔から、結構引っ込み事案なんですよ。

谷中:でしゃばらないし、人のものでも奪おうとか、そういうのが無いんだよね。子供の頃からそんな感じだったの?

宗像:そうですね。基本的に、勝負師に向かない性格をしていると自分でも思います。

ジョッキーになってから、もっとガツガツ行けよ、みたいに言われることはありませんでしたか?

宗像:ウチの師匠からもそれは言われていました。

谷中:でも、そう言われたかもしれないけど、そんなに強くは言われなかったでしょ?だって、笹倉先生はムナゾウの性格が好きだったからね。ガツガツしていないところとか。

谷中さんは、引っ込み思案っていう言葉とは縁が無さそうですね。

谷中:その言葉を最近知ったよ(笑)。

宗像:アハハ(笑)。で、また笹倉厩舎と阿部厩舎でボウリング大会とかやっていたんですよね。谷中さんがウチの厩舎の馬に乗っていたし、若い厩務員もいて、厩舎ぐるみで仲良くしてもらっていたんですよ。

谷中:俺も当時は自腹をバンバン切っていたからね(笑)。夏の北海道で笹倉厩舎の馬にたくさん乗せてもらって、本当に助かったんだよね。…それ、何を持ってるの?

宗像さんの騎手としての成績をプリントしてきたんですけど。

谷中:先に渡してよ(笑)!

すいません(笑)。騎手生活を振り返って、印象に残っている年はありますか?

宗像:やっぱりフリーになったときじゃないですか。ちょっと成績も落ち目だった頃に、フリーになってみようかなと思って。このまま厩舎に所属をしていて、乗り馬は確保出来るけど、このままでいいのかなと思い始めて。

谷中:そうだったんだ。

宗像:それで障害にもう一度乗り始めてみようと思って、その年から本格的に障害を乗り始めたんですよ。

谷中:(資料を見ながら)デビューした年にも一回乗ってるね。

宗像:そのレースで落っこちて、先生から「お前はしばらく障害は乗るな」と言われて、良かった~、みたいな(笑)。

谷中:ホッとしたんだ(笑)。

宗像:でもそれからずっと乗っていなかったんで、障害馬の仕込みも全然出来なかったし、イチから勉強したいと思っていたんですよ。そのためには、調教時間を長く取りたいから、厩舎に所属していると無理だなって。

谷中:それもあってフリーになって。

宗像:そうですね。で、笹倉厩舎に所属していた頃から可愛がっていただいていた矢野進先生に、障害に乗りたいんですっていう話をしたら「ウチで障害馬を作っているから、乗ればいいよ」って言ってくださって。フリーになって障害を乗り始めたときも、矢野先生の馬なんですよ。

谷中:矢野先生も面倒見の良い、温かい先生だもんね。

ちなみに谷中さんも障害で乗っていましたよね。

谷中:うん。だって俺、ジョッキー初勝利が福島の障害だもん。

宗像:え、そうなんですか?ええー?

谷中:障害は36、7鞍ぐらい乗ったのかな。でも危ない思いをして怖くなったから、止めたんだけど。アブミが脱げて落っこちそうになって、そのまま二つくらい障害を飛んで。もう怖くなって、それからダメになっちゃった。

宗像:僕もフリーになって障害に乗り始めたときは、正直ちょっと怖かったですね。怖かったけど、その頃は平地でもあまり乗れなくなってきて、でも生活していかないといけないし、と思って乗り始めて。でも乗っていくうちに、面白いなっていう気持ちも出てきて。

谷中:あ、そうなんだ。

宗像:下手に飛んだときは、怖ええ!と思いますけど、綺麗に飛べたときは、面白いなと。その頃からですかね、馬に乗るのがちょっと楽しくなってきたというか。

谷中:流されるように生きてきたムナゾウに、ようやく主体性が出てきたね(笑)。(資料を見ながら)そうやって頑張って乗り続けて、重賞も勝っちゃうんだから凄いよね。

宗像:デモリションマンは、僕が最初から作った馬ではなかったんですよ。

谷中:そうなんだ。

宗像:初めて古賀史先生から「馬を作ってくれよ」って声を掛けてもらって「ハマ(浜野谷憲尚騎手)の馬もいるから、一緒に作ってくれよ」って言われたんですけど、その浜野谷さんの馬がデモリションマンだったんですよね。で、僕の馬はかかって大変だったんですけど、隣のデモリションマンは綺麗な飛越をしているし、いいなーって思っていて(笑)。

谷中:俺もそっちに乗りてえよーって(笑)。

宗像:本当にそれぐらい、いいなって思っていたんです。そうしたらデモリションマンの障害デビュー戦の前日に浜野谷さんが落馬してレースで乗れなくなって。

谷中:ハマ以外のジョッキーが乗ることになったんだ。

宗像:浜野谷さんが作っていた過程を見ていたから、うわ、乗りたいなーって思いましたけど、僕は同じ古賀史先生の馬に乗せてもらうことになっていたので。それでデモリションマンには大庭(和弥騎手)が乗ったんですけど、福島のバンケットで躓いて落馬したんですよ。で、次の日に勝負服を返しに厩舎へ行ったら、古賀史先生から「お前、今週いけるか?デモリションマン、連闘するから乗れよ」って声を掛けてもらって。それから乗せてもらうようになったんです。

谷中:ハマには気の毒だけど、ムナゾウにとってはタイミングが合ったんだね。

宗像:それで次の新潟でスムーズに勝って、中一週でオープンに使うことになったんですよね。古賀史先生は、そこでもう一回浜野谷さんに戻そうとしていたみたいなんですけど、まだ足の具合が思わしくないので「じゃあもう一回乗れよ」っていうことで、はい!と。

谷中:そりゃ返事の声も大きくなるよね(笑)。

谷中 公一

1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。

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