東京大学名誉教授が射抜くワイド1点

[2012年9月2日]

【新潟記念】夏の牝馬と軽ハンデを考慮

猛暑のなか、前田敦子がほんとうにAKBを卒業した。彼女は乙女軍団のなかでたった一人だけ識別できる娘だったし、この3月末の卒業宣言のときも「AKBやめます。でも、とても不安です」という言葉に痛く共感したものだ。思わずわが心も「東大やめます。でも、とても不安です」と反応していたからだ。

あれから半年目の9月がめぐってきた。あの不安感はどうなったのか。自分のオフィスを開設するにあたって、2年分ほどの家賃は払えるように蓄えておいた。幸いなことに、今のところそれには手をつけずに毎月の家賃を納めている。これだって何時までつづくかと思えば、不安にならないわけではない。でも、ギャンブラーはもともと楽観論者のはずだ、と言ったのは、たしか芥川龍之介だった。わけのわからない不透明な未来にいくらかでも賭けられるのは悲観論者にはできないことだろう。競馬もギャンブルだが、組織に入らないというのもそれ以上にギャンブルなのだから。



さまよい歩くディアスポラ(離散)の青夷人に朗報が入ってきた。どうやらマスターがお店を見つけたらしく、順調に進めばもうすぐ内装工事にとりかかるという。別に会社の同僚でもないし学校時代の友人たちの集まりでもないのだが、週に1回ぐらいは顔を合わせていた常連たちの顔を見ないというのは、どうも調子が狂ったというしかない。同じところに住んでいるのに転勤を強いられたという感じだったかもしれない。



さて、新潟最終週の新潟記念。関屋記念と札幌記念はワイド1点勝負こそ外れたものの、遊びの3連単36点買いが両方とも的中した。少しばかり懐に余裕ができたが、あくまでワイド1点勝負が私の信条であることに変わりはない。



夏も終わりに近づいたが、やはり夏の牝馬と軽ハンデを考慮して、(14)マイネイサベル(18)スマートシルエットの2頭に絞りたい。新潟の長い直線を上がり33秒前後で疾駆してくる姿が目に浮かぶ。



(14)-(18) のワイド1点で勝負する

遊びで(14)を軸に(3)(7)(13)(18)の3連単36点買いで遊ぶ 【by本村凌二】

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『ワイドの凌』よりひと言

昭和の「エースの錠」が拳銃を片手にのさばってから半世紀が流れた。平成を経て令和の世は馬券を片手に「ワイドの凌」でいきたい。狙い目はできるだけ少なく、基本はあくまでワイド1点勝負。ワイドは当たり馬券が3つもあるのだから、的は見えやすい。馬券は手を拡げると、あの馬も買っておけばよかったと悔やまれる。できるだけ狙い目を絞れば、そんな後悔もせずにすむ。人生は短いのだから、ストレスをかかえこまず、心ゆたかに競馬も馬券も楽しむこと。それがこの世界で長生きする秘訣である。

本村 凌二

1947年5月1日、熊本県八代市生まれ。
東京大学名誉教授。
専門は古代ローマの社会史。専門の近著に『ローマ帝国人物列伝』『一冊でまるごとわかるローマ帝国』

「もし馬がいなかったら、21世紀も古代だった」という想念におそわれ書き起こした『馬の世界史』が2001年JRA馬事文化賞を受賞。その他の競馬関連の近著に『競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで』(中公新書)。20世紀のペンネームは本村雅人。

ハイセイコーが出走した1973年の第40回東京優駿日本ダービーから、第57回を除き、毎年東京競馬場でライブ観戦するなど、日本の競馬にも造詣が深い。
夏から秋にかけてはヨーロッパで過ごす事が多く、ダンシングブレーヴが制した、あの伝説の凱旋門賞や、タイキシャトルが勝ったジャック・ル・マロワ賞。また、シーキングザパールが日本調教馬として初めて海外GI競走を制したモーリス・ド・ギース賞などをも現地でライブ観戦している。競馬と酒をこよなく愛する、知る人ぞ知る競馬の賢人。

伝説の凱旋門賞
勝ち馬ダンシングブレーヴの他、ベーリング、シャーラスタニ他、JCにも参戦した鉄女トリプティク、そして日本ダービー馬シリウスシンボリも含め出走馬15頭中11頭がGI馬という当時としては最強のメンバーが集結したレース。そんな好メンバーの中、直線入り口最後方から全馬をまとめて差し切り勝ち、しかも当時のコースレコードのおまけ付だった。

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