谷中:本当そうだよね。でも直人は重賞をたくさん勝っているじゃん。羨ましいよ。
スマートボーイでは5つも重賞を勝っていますけど、どんな馬だったんですか?
伊藤:最初は関西の厩舎にいて、小倉のダート1000をレコード勝ちしたように短距離馬だったんですよ。それで圭三先生が開業して少し経ってから転厩してきたんですけど、短距離ではスピード負けしてしまうんで、距離を延ばしていってもいいんじゃないかなっていう話になったんです。それで1800とか使い出したんですけど、上手くハマッてくれて。
谷中:良いなあ。
伊藤:父がアサティスなんで、気ままというか、馬は怖いし、馬は好きだしで大変でした。脅かされればすぐにぶっ飛んじゃうし、逆に、遠くに馬が見えるとそっちに走っちゃうし。
谷中:馬が好きだから、そうやってくっついていっちゃうんだね。
スマートボーイの中で印象に残っているレースは。
伊藤:毎回どこまで粘れるかで、勝つときは、ゴール板を過ぎてから「ああ、良かった」みたいな競馬だったんで、レースに関してはどれかひとつって選びにくいですね。どちらかというと、レース内容よりも、よく一緒になったタマモストロングのことの方が印象に残っています。「あの馬さえいなければ勝てたのにな」って(笑)。
谷中:スマートボーイみたいな馬って、早めに競られたりすると展開が変わるもんね。
伊藤:小池(隆生元騎手)さんが乗っていたんで、自分の中では「コイケストロング」って呼んでたんですけど。
谷中:アハハ(笑)!
伊藤:あ、あと、あれは悔しかったですね。ファストフレンドに負けた東海ステークス。
谷中:あー、ファストフレンド。強かったよね。
伊藤:あのときは完璧に手応えが残っていたんですよ。で、ファストフレンドも見えなかったから「よっしゃ、勝ったぜ」と思ったら、本当に最後だけビュンと来られて…。しかもレコードだったんですよ。当時はレコードで勝つと金のメダルももらえましたから、もうダブル、トリプルでやられたっていう感じで。
谷中:それは悔しいね。
名コンビのスマートボーイの話を聞かせていただいて、次は伊藤さんの引退について伺いたいんですけど、考え始めたのはいつ頃ですか?
伊藤:最後の4、5年はずっと考えていましたね。スマートボーイが引退した時点で、よほど重賞クラスで活躍出来るようなパートナーが出て来ない限り厳しいだろうな、と思いました。北海道に行っても、攻め馬をしていてもレースでは乗せてもらえないっていうケースが如実に増えてきたんですよね。で、調教師の理由が「いや、馬主がさ」って。
谷中:うんうん。
伊藤:それでだんだんイヤになってきたんですよね。元から営業は得意じゃなかったし…。本当のトドメはもう11年の0勝で「ああ、もうダメだな」って。0になったら、もうにっちもさっちも行かないなって。若ければまた頑張ったかもしれないですけどね。
谷中:そうだね、この頃になって0勝になるとキツくなっちゃうもんね。
伊藤:ケガで乗れないという訳ではないし、プロ野球のトライアウトを受け続けるみたいな感じで、ジョッキーを続けるという選択もありましたけど、この社会には助手という仕事もあるので「じゃあ、そっちに行こうかな」と。
谷中:それって、スンナリ決心できた?
伊藤:そうですね、割りと引きずらなかったですね。絶頂のときに何かトラブルがあって引退、だったら未練があったと思うんですけど、最後の方は数もそれほど乗っていなかったんで…。結構休みの週が続いたこともあったので、いざ3月から競馬に乗りませんよってなっても、土日に美浦にいるのが普通という感じで。
最初に数が少なくなった頃、土日に美浦にいるのが辛かったということはないですか?
伊藤:最後の2、3年は慣れちゃっていましたけど、最初の頃は土日に調教に乗っていると「何だ、今日は競馬だぞ」とか言ってくる人がいて「うるせーな。しょうがねーだろ」って思ってました。
谷中:本当「分かっとるわい!」だよね(笑)。俺もよく言われたけど、一番腹立つんだよね。精神的に一番キツいところに、そうやってからかわれるとね。
ジョッキー生活を振り返っていかがですか?
伊藤:やり直せるわけではないですけど、自分の性格上、調子に乗れないんですよね。勝っても勝っても「いやー、あのレースはもっと上手く乗れなかったかな」みたいな。それがこう、ずっと突き抜けられなかったところというか、自分に自信が持てないというか。せっかく流れが良くなってきているのに、自分からブレーキを踏んでしまうような感じになっていたのかな、と思いますね。振り返ると。
謙虚が過ぎるというか。
伊藤:それは、先輩たちを見てきたせいもあるのかな、と。「いや、あの人たちの技術には追いついていないよな」みたいな。
それが自分を殻に閉じ込めてしまったのかな、と。
伊藤:多分、やり直しても一緒だとは思うんですけどね。
谷中:でも楽しかったでしょ。
伊藤:そうですね。やり残したことはないかな、と。
谷中:やりたかったことはいっぱいあるけど、やり残したことはない、みたいなね。
重賞も勝ったし。
谷中:やっぱりそれってものすごく大きいよ。本当、羨ましいもん。直人はいっぱい勝ってんだから、1個ぐらいお裾分けしてほしいよ(笑)。
ではそろそろお時間になりますので、最後に伊藤さんが感じている助手としてのやりがいを聞かせてください。
伊藤:騎手をやっているときは、ただ頼まれて乗るっていうだけで「自分の馬」って言える馬がいなかったんですけど、今は自分の厩舎の馬がいて、それを調教してレースに送り出してっていう流れがあるので、自分のやってきたことが競馬でどう繋がるかっていう楽しみがありますね。
谷中:ジョッキー時代とはまた違ったやりがいがあるよね。
伊藤:スマートボーイみたいにずっと乗せてもらえる馬がもっといれば良かったんですけど、なかなかそういう馬っていませんから。だから今は騎手に頼むとき、本当に心から「頼むぞ」って思えますね。
それだけに良いレースをしてもらえなかったら、納得いかないでしょうね。
谷中:やっぱり、元ジョッキーだから分かるんだよね。お前、あれはないだろとか。自分たちが乗っていただけあって、俺たちの目はごまかせないよね。
伊藤:ちょっと馬の力が足りないのは分かっているけど、もう少し敗因が分かるようなレースをしてくれよ、とか。同じ負けるでも、敗因が分かるようなレースをしてくれないと先生にも相談のしようがないですからね。この前、ある若手がレース後に先生から敗因を聞かれて「分からないです」って言っちゃったんですよ。
谷中:言っちゃったか。
伊藤:おいおい、そう言われちゃったら、こっちも手の打ちようがないし、乗せた意味もないよ、と。「もうちょっと距離があった方が良いかもしれません」とか「左回りの方が良さそうです」とか、ひとつでいいから何か言ってほしいんですよ。そうしないと、こっちも次が見えませんから。厳しい時代ですけど、若い連中には頑張ってもらいたいですし、勝ってほしいですもんね。この馬でチャンスを掴んだら、他の馬に乗れるチャンスが出てくるかもしれないぞ、と。
谷中:俺も馬を作る立場になって、若い子が乗るんだったら、頑張ってほしいと思うよ。せっかくジョッキーになったんだからね。いやー、最後に直人から良いアドバイスが出たね。今日は忙しいなか、ありがとう。
伊藤:ありがとうございました。
1965年長野県生まれ。1985年、美浦の阿部新生厩舎の所属騎手として騎手デビュー。JRA通算成績145勝(うち障害3勝)。初騎乗は1985年3月10日にヤノリュウホウ(8着)。同年6月15日イチノスキーで初勝利。現役中に騎手生活の厳しい現実を綴った著書「崖っぷちジョッキー」を発表。現在は天間昭一厩舎の助手として活躍中。同厩舎ではレッツゴーキリシマやクラウンロゼなどを担当した実績もある。またその傍らドッグガーデン「WANだら~」経営者としても手腕を発揮している。
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